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最高裁判所第二小法廷 昭和47年(行ツ)85号 判決

東京都目黒区中町二丁目五〇番一一号

上告人

篠田順一郎

右訴訟代理人弁護士

上山義昭

伊東七五三八

東京都目黒区中目黒五丁目二七番一六号

被上告人

目黒税務署長

小林猛

右当事者間の東京高等裁判所昭和四六年(行コ)第三〇号所得税更正処分および過少申告加算税の賦課決定処分取消請求事件について、同裁判所が昭和四七年六月三〇日言い渡した判決に対し、上告人から全部破棄を求める旨の上告の申立があつた。よつて、当裁判所は次のとおり判決する。

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人上山義昭、同伊東七五三八の上告理由第一点の(一)について。

所論は違憲をいうが、その実質はたんなる法令違背の主張にすぎず、原判決に右違法のないことは後記第二点の一および第三点について説示するとおりである。論旨は理由がない。

同第一点の(二)について。

所論は、本件処分が通達による課税であつて租税法律主義に違反するものであると主張するが、右所論は原審において主張、判断を経ていない事項に関するものであるから許されない。

また、所論は、昭和三六年四月一日に施行された同年法律第三五号による改正所得税法の附則二条が、同法の規定を同年一月以降の所得について適用するものとしているのは、租税法の不遡及を内容とする租税法律主義に違反すると主張するが、有価証券の譲渡による所得に対する課税については、右改正の前後において規定の内容に実質的変更があるものとは認められない。したがつて、不利益な規定の遡及適用であることを前提とする所論は、その前提を欠く。

そして、右改正前の所得税法六条五号と九条八号の規定によれば、有価証券の譲渡による所得のうち営利を目的とする継続的行為によつて生じたものが課税の対象となる所得を構成することは文理上明らかであるから、右規定を所論明快の原理に反するものということはできない。

さらに、所論は、右改正前の所得税法六条五号の規定が憲法一四条に違反する旨を主張するが、同条九号が所論のいう証券投資信託による有価証券の譲渡所得を非課税にしたものとは解されず、同号との比較において違憲をいう所論は、前提において失当である。

論旨はすべて採用することができない。

同第二点の一および第三点について。

原審の確定した本件の課税経過に徴すると、本件係争年分の各所得税について先に芝税務署長のした更正処分は、同署長がこれを取り消しているのであるから、その後法定の更正期間内に、所轄庁たる被上告人署長が改めて更正処分をなしうることは当然であり、所論のように芝税務署長の右取消によつて本件の課税手続が完結したと解すべき根拠はない。所論は、芝税務署長のした更正処分およびその取消が有効であれば、本件処分は無効であり、国税通則法三〇条三項の規定により取り消されるべきものであると主張するが、同条項は、納税義務者の納税地の異動により一の国税について新旧両納税地の税務署長の処分が競合するに至つた場合の措置を定めたものであつて、本件処分は芝税務署長の更正処分が取り消された後になされたものである以上、これに同条項を適用する余地はなく、もとよりこれを無効とすべき理由もない。以上と同旨の原審の判断は正当であつて、原判決に所論の違法はなく、論旨は採用することができない。

同第二点の二について。

所論の点に関し原審において釈明権を行使すべき義務があるものとは認められず、原判決に所論の違法はない。論旨は採用することことができない。

上告人の上告理由について。

所論は違憲をいうが、その実質はたんなる原判決の法令違背か、本件処分の違法不当をいうものにすぎず、原判決に所論の違法のないことは上告代理人の上告理由に対して説示したとおりである。論旨は理由がない。

よつて、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 吉田豊 裁判官 岡原昌男 裁判官 小川信雄)

(昭和四七年(行ツ)第八五号 上告人 篠田順一郎)

上告代理人上山義昭、同伊東七五三八の上告理由

原判決は、以下に述べる理由により、破棄を免れないからこれを破棄して、相当の御裁判を求めます。

第一点 原判決は憲法に違反し、または憲法の解釈に誤りがある(民事訴訟法第三九四条前段)。

(一) 公務員は憲法を遵守する義務がある(憲法第九九条、国家公務員法九七条、職員の服務の宣誓に関する政令)。即ち国家公務員は、新に任命された場合には任命権者またはその指定する職員の面前において、政令による宣誓書に署名して任命権者に提出しなければならない。その宣誓書には、明らかに日本国憲法を遵守し、ならびに法令および上司の職務上の命令に従い、不偏不党かつ公正に職務の遂行に当ることを固く誓う宣誓書を提出しなければならないのである。国民は、国務大臣は元より国家公務員もこのように厳粛に憲法遵守の義務がある事を知り、かつこれを信頼しているが故に、国家公務員の行政上の処置については、何れも厳格に憲法に基く各種の法令を遵守し、これに違うことのないものと信頼しているのである。従つて、公務員が憲法に基く法令の適用を誤り、またはその解釈を誤りた場合には、異議その他の申立を求める事が出来る場合は上級者に憲法や法令に基く正当なる処分の変更あることを信頼して異議の申立をするのであるが、異議申立権のない場合については、恐らく公務員は憲法を遵守し、誤りがないであろうと信頼しているのである。従つてこの場合に万一公務員が憲法またはこれに基く法令に反した場合には、その公務員のなしたる処分をもつて正当なるものと受取る外はないのである。もしもこの様な場合において、公務員のなしたる処分が憲法または法令の適用解釈に誤りがあるが故に無効であるとし、しかもその処分をした公務員の責任は別に定める分限、懲戒処分、その他の不利益な処分を受けるに留まるに過ぎない、とするならば、国民は何を信頼し、如何にしてその救済を求めることが出来るであろうか。その様な場合に救済を求めることも許されず、その公務員のなしたる違法な処分が、時に有効であり或は無効であるとその時々の便宜に従つてほしいままに解釈されるならば、国民はその信頼するところを失わざるを得ないのである。かくしては法治国の名は失われて、専制国家と異なるところはないのである。従つてこの様な場合は公務員のなしたる行為は一応有効なるものと解釈し、以て憲法またはこれに基く法令の権威はあくまでも保持されなければならないのである。

今本件の経過を見ると、上告人は訴外芝税務署長から、昭和三七年一二月二四日付をもつて、昭和三五年分、三六年分各所得の更正決定の通知(甲第二号証の一、二)を受け、これに対して上告人は昭和三八年一月一一日付を以て異議の申立(甲第三号証)をした。これに対して芝税務署長は、同年四月五日付をもつていずれも「更正処分に誤りがあつたので更正全部を取り消します」との理由を付して再更正により全額減額更正の手続きをしたのである(甲第四号証一、二)。即ち右再更正は、甲第三号証による上告人の異議申立に対する解答であることは明らかである。そしてその異議申立(甲第三号証)には、先の甲第二号証一、二の更正決定の全額取消を主張したものであるから甲第四号証の一、二にある再更正決定は、芝税務署長が自らの更正決定の誤りを認めて取り消したものと解する外はないのであるから甲第四号証の一、二にある再更正決定は、芝税務署長が自らの更正決定の誤りを認めて取り消したものと解する外はないのである。(国税通則法第二六条、二四条)「管轄なし」との理由は想像すらできないのは当然である。

上告人は、右芝税務署長の全額減額更正決定により、上告人の異議申立が完全に承認されたものとして満足したのである。然るに芝税務署長はその五日後に奇怪にも同年四月一〇日付をもつて甲第三号証の異議申立書を上告人の住所地(納税地)が目黒区にあり、国税通則法第七七条によるとの理由を付して右の被上告人に送付する旨、上告人に通知した(甲第一〇号、一一号証)のである。

同法第七七条の規定は異議申立者に対する税務署長の処分があつた時以後にその納税地に異動があつた場合の規定であつてその以前に既に異動があつた上告人に対してはその適用がないのであつて、この点からするも芝税務署長は、同法第七七条第一項、第七六条第一項の規定に従つて、上告人の右申立について決定する権限があつたものと云わなければならない。而も第七七条第一項、第七六条第一項の規定の適用を受けて甲第二号証の一、二の更正決定ならびに取消決定(甲第四号証の一、二)の各処分により本件は芝税務署長の右各取消決定によつて完結したものである。従つて同法第七七条により移送する旨の決定は無効である。この同法第七七条の移送理由が誤りであることは、被上告人も第一審に於て自白するところである(第一審原告、昭和三九年六月二九日付準備書面、第一ノ一三並にこれに対応する第一審被告の昭和三九年四月一二日付準備書面三ノ(五)参照)。しかも右誤りのある移送決定に対しては異議の申立権を認められず、本訴訟においてその効力を争う外はないのである。

被上告人が自らこの法律の適用を誤つたことを自白したにかかわらず、その移送決定が有効であると解することは前述したとおり国民の憲法ならびにこれに基く法令、これを遵守する義務ある公務員のなしたる処分に対する信頼感を著るしく毀損するものである。その様な解釈は憲法に違反するものであり到底許されない。

従つて訴外芝税務署長のなした甲第四号証一、二による減額更正決定による取消は有効に確定したものであるとしなければならない。

この様な芝税務署長の国税法第七七条による無効の移送決定を有効であるとの前提の下に被上告人の本件更正決定(甲第六号証ノ一、二)を有効なりと判断した原判決は明らかに憲法に違反しまたはその解釈を誤つたものである。

(二) 原判決は租税法定主義(憲法第八四条)に違反する。

(1) 租税法定主義は法律によらざる行政処分による課税を禁止するものである。従つて法律に規定のないのに通達をもつて課税することの違憲であることは疑う余地がない。上告人に対する昭和三五年、三六年分の所得税に関する更正決定は、被上告人が第一審被告の昭和三九年五月二七日付準備書面二の(四)の(ハ)に自ら主張する様に、「昭和二八年度の改正法のもとにおいても『継続的と認められる証券の取引から生ずる所得は、事業所得または雑所得』と課税されていたものでその基準については法令上特に規定はなく、解釈にゆだねられていた。税務官庁においては、個人の有価証券の取引から生じる所得に関する所得税の取扱(二八・一二・二六直所一-八八)および個人の有価証券の取引から生じる所得に関する所得税の取扱通達運用(二八・一二・二六直所五-四)各通達に基いて業務執行して来たのである。即ち被上告人は、その自白する様に法律上何等の基準のないものについて法律によらない部門においてのみ取扱われる通達をもつて上告人に課税したのである。このことは課税法定主義に反する課税であり、違憲である。

(2) 租税法定主義は、特に税率を軽減する等国民の負担を軽減する場合、その他特に重大なる公共上の理由ある場合を除いては、国民に新らたに課税する場合は、その施行以前には、遡らないという不遡及の原則に従わなければならない。然るに被上告人は、上告人の昭和三六年一月-三月迄の有価証券譲渡による所得について、同年四月一日に施行せられた改正所得税法を同年一月からさかのぼつて課税したことは、租税法定主義、新法不遡及の原則に対する違反である。然るに原判決は、その点について上告人の有価証券の売買回数が五〇回以上であり、且つ株数が二〇万株以上の継続取引による所得であるとの理由のみをあげて、漫然第一次判決理由を援引してそれを相当としたことは、憲法の解釈を誤つたものである。

(3) 租税法定主義は、当然明快の原則を前提とする。即ち法律によつて課税の種類程度を定める法条は明快にしてかつ疑問の余地のないものでなければならない。

この点において原判決は、上告人のなした取引は、原判決の別紙二記載の様に八〇回、六三万余株に達するのであるから、課税に所論の違法性はないという。そしてその取引の回数と株数によつて明快であるとしている。然し乍らこの点は前にも指摘したように、三五年分、三六年分の所得に対する課税は昭和二八年法律第一七三号によつて、改正された旧所得税法によるものであるところ、同法第六条第五号によれば有価証券の譲渡による所得に対しては、無条件に非課税とされたものであり、第九条第一項第八号には、単に「資産の譲渡に因る所得に因る所得(……営利を目的とする継続的行為に因り生じた所得を除く……)」とあるが、それは単に課税標準を規定したものに過ぎない。そのカツコ内の除外規定が第六条によつて非課税所得とされている有価証券譲渡による所得について課税所得とされるようになるなど国民一般多数には想像もできない。もしも有価証券の譲渡による所得中営利を目的とする継続的行為によつて生じたるものについては、これを課税所得とする主旨であるならば、そのことを第六条第五号の有価証券の下のカツコ内に明快に規定すべきである。その様に規定すれば非課税所得中営利を目的とする継続的行為によつて生じたる所得は有価証券の譲渡による所得でも、課税されるということが明らかに理解出来るのである。それをしないで、第六条第五号においては、無条件で非課税としながら課税標準を規定した第九条の第八号で卒然として営利を目的とする継続的行為としてこれを課税所得に昇格せしめる規定の仕方は、明快の原理に反するものである。

また当時従来課税の対照とされた有価証券の譲渡による所得について、これを非課税とした理由について政府当局は、我国の経済復興の為にしばしば株式市場における資本調達の場としてこれを育成を計る必要があるから、これを非課税としたことを説明し第六条第一項五号有価証券の意義として有価証券流通税法所定のものに限ることを明かにしており、かつ課税の公平を期する為には、同時に施行された有価証券流通税法により、これを補なうことにしと説述した。即ち当時同時に施行された有価証券取引税法(昭和二八年第一〇二号)による取引税の徴収と所得税法第六条第五号による有価証券譲渡所得廃止とは相互に交換的役割を果すべきことが、当時の政府当局の国会における説明ならびに大蔵当局の執筆にかかわる各種の著書、雑誌の解説等において強調されたところであり、これをうけて各証券会社も同様の解説をして国民の殆んど全部は有価証券流通税の徴収によつて有価証券譲渡による所得は例外なく非課税とされたもので理解したのである。このことは国会における政府当局の説明等については、当時の官報に詳細に記載されてあり、このことは裁判所においても顕著なる事実であるから、一審以来上告人は官報を書証として提出することはしなかつた。しかしながら裁判所に、顕著なることは立証する責任がないのであるから、裁判所において必要とあれば当時の官報をひもとかれれば十分であり、ただ上告人の主張したいことは当時の国会答弁・説明においては、資本市場の育成の必要性、有価証券譲渡による所得の把握の困難、これを強行することにより課税の不公平の危険、ならびに流通税の賦課による税これらの困難等の補充性等については、詳細なる説明がなされている。これらの詳細なる説明にもかかわらず、営利を目的とする継続的行為については営業の場合以外においても、雑所得として課税する旨の説明が一回もなされていなかつたという事実である。

この点については第一審以来被上告人も一度も反論せず、明らかに争わないところであるから、自白したものとみなされているのである。その他の点については、第一審原告の昭和三九年八月二日付準備書面(三)添付の文献目録ならびに甲第二二号証の一ないし甲第三四号証の三の諸文献を参照せられればこの点は十分に理解される。このような大蔵当局の一部を秘匿した説明は、極言すれば、国会と国民を欺いたものともいい得るのである。

明快の原則について想起すべきは大正一四年六月九日の大審院の狸と貉に関する狩猟法違反事件に関する判例(判例集四巻三七八頁)である。同判例においては「けだし学問上の見地からするときは貉は狸と同一物だとするも、かくの如きは動物学上の知識を有する者にして始めてこれを知る事を得くべくして狸、貉の各称は古来併存し、我国の習俗この二者を区別し豪も怪しまざるところを以て狩りよう法中において狸なる名称中には貉をも包含する事を明らかにし、国民をして適帰するところを知らしむるの注意をとるを当然とすべく単になる名称を掲げてその中に当然貉を包含せしめ、我国古来の習俗上の観念に従い、貉を以て狸を別物なりとして、これを捕護した者に対し刑罪の制裁を以てこれに望むが如きは決してその当を得たるもとは云えず」と述べた箇所である。即ち立法上においては国民をしてその常識に従い豪も誤るところなからしむるだけの明快さを持たさなければならない。そうでなくして、あいまいな実現を用い、これによつて国民をして誤解せしめたる場合には国民に法のあいまいによる責任を追求することを許されないという主旨である。

この判例は今日も尚生きていることであつて、原審において上告人の主張した点もまたこの点に存する。

以上の諸点から昭和二八年改正された所得税法第六条の第五号の規定は明快性を欠き、憲法に違反するものである。

(4) 原判決は法の前における平等の原則(憲法第一四条)に違反している。

仮に旧取得税法第六条第一項五号規定と、同法同条第九号(第一審判決に一一号とあるのは九号の誤りである)の証券投資信託の終了、もしくは証券投資信託の契約の一部の解約により又は元本の追加信託をなし得る証券投資信託につき、証券投資信託の証券を有するものに対し分配される収益の中信託財産に属する有価証券の譲渡による収益(以下投資信託による有価証券の譲渡所得と略称する)の規定と比較すれば個人のなした有価証券の譲渡による所得については、それが営利を目的とする継続的行為による所得の場合には課税されるにかかわらず、投資信託による有価証券の譲渡所得については如何にその譲渡の回数ならびに株式の数が多くとも、これについては課税しないということは、その規定自体から著るしく公平を欠くことは明かである。上告人のなした有価証券の売買回数が八〇回、三六万余株であるといつても、各証券会社の取扱う投資信託による有価証券の譲渡の回数、ならびにその取引株数の巨大なることにおいて比較することは、何等の立証を要せず公知の事実である。このことを度外視して一審判決も、原判決も上告人が「何等具体的な理由を述べない」といつて漫然上告人の主張をしりぞけたことは著しく公平を欠き不当である。このことは租税法定主義による公平の原則、憲法上の法の前るおける国民平等の原則からいつても著るしく公平を欠くことは明らかである。

これ以上何を具体的に主張せよと云うのか、原判決ならびに一審判決の主張は裁判所の当然の職務たる法律の条項の閲読、検討の義務すらおろそかにするものであるといわなければならない。

即ち有価証券取引税法第一〇条の規定によれば、その税率は、業者(第一種)と非業者(第二種)に分ち、その課税率の比は約一対二である。

そしてこれを旧所得税法第六条一項九号による投資信託の有価証券譲渡所得(甲)とを、各所得別に課税の有無、程度を具体的に対比すれば、次の通りである。

区分 取引税 その他

非業者 一〇〇分の一五 雑所得として課税

業者 一〇〇分の六 課税

投資信託受益者 一〇〇分の一五 非課税

即ち有価証券譲渡による所得という同一種類の所得に対して、右のような不平等な課税がなされているのは、関係法条を一見すれば明らかであつて、原審が当事者の指示を待たなければ、法律の何処に何が規定してあるか判らないとは、法律を専門とする政府機関としては、職務怠慢も甚しいものといわなければならない。

第二点 原判決に影響を及ぼすこと明らかな法令の違背がある(民事訴訟法第三九四条後段)。

一 原判決は、国税通則法に違背している。

前述第一点(一)記述の通りの経過を辿り、訴外芝税務署長は、昭和三八年四月五日付甲第四号証の一、二をもつて上告人の異議申立(甲第三号証)に対して原決定(甲第二号証ノ一、二)を取消したのである。

然るに同署長は、同年四月一〇日をもつて、上告人の異議申立を被上告人に移送した旨上告人に通知した(甲第一〇号証)。しかもその理由が、国税通則法七七条によるという見当違いの無効の移送であることは、今迄すでに述べた通りであるが、被上告人はその翌一一日をもつて「芝税務署長が昭和四八年四月二〇日付をもつて全部取消したので異議申立は理由がありません」との理由により上告人の異議申立を「却下する」と決定して、その旨上告人に通知した(甲第五号証ノ一、二および各証添付書類)。即ち被上告人は、訴外芝税務署長の甲第四号証ノ一、二による取消しを有効と認め、これを理由として上告人の異議申立を却下したのであるから、ここに原更正決定は完全に全額取消されたことは確定したである。

芝税務署長も、被上告人も、等しく日本国政府の一機関に過ぎないのであつて、更正決定をするものは個々の税務署長でわなく、政府であり、日本国政府は、一にして不二である(所得税法第四四条は更正決定なすものは、政府であると明定している)。

右決定する所轄庁は、国税通則法第三〇条によつて定められているのであるが、その第一項には、更正または決定はこれ等の処分をする際におけるその国税の納税期(以下この条文において「現在の納税期」という)を所轄する税務署長が行うとし、第二項には所得税……(中略)についてはこれ等の国税課税期間が開始した時(課税期間がない国税については、納税義務の成立の時)以後にその納税地に移動があつた場合においてその移動にかかわる納税地で現在の納税期以外のもの(以下この項において「旧納税地」という)を所轄する税務署等においてその移動の事実が知れず、その移動後の納税地が判明せずかつその知れないことまたは判明しないことにつき止むを得ない理由がある時は、その納税地を所轄する税務署長は、前項の規定にかかわらずこれ等の国税について更正又は決定することができる」と規定してある。従つて芝税務署長はこの規定に基いて当然更正決定をなす権限があつたのであるから、甲第二号証の一、二の原更正決定も、これを取消した甲第四号証の一、二の取消決定も、共にその権限を有し有効であるといわなければならない。従つて被上告人の昭和三八年五月一八日付の更正決定(甲第六号証ノ一、二本訴において取消しを求めるもの)は、同条第三項によつて遅滞なく取消さなければならないものである。原判決が、この法令に違反したことことは、判決に影響を及ぼすことは明らかである。

被上告人は、訴外芝税務署長が甲第二号証の一、二により更正決定をしたのは、上告人の住所が昭和三五年一二月に被上告人の所轄内に住所を移転したことを知らなかつたが故になしたものであり、その決定は管轄がないから、甲第四号証の一、二をもつて取消したものであると、第一審以来強弁して来たのである。上告人は、昭和三五年一二月迄芝税務署長の所轄する港区芝西久保巴町四五番地に永年の間居住していたが、昭和三五年一二月に目黒区内に住居を移したけれども、依然として港区芝久保巴町四五番地の旧住居を上告人の代表取締役である篠田ゴム株式会社の本店所有地として使用していたので、上告人は、従前通り同所を住居地として芝税務署長に所得税の申告納税して来たのである。法人税の申告に関してはその添付書類中上告人に支払われた土地建物の賃料、株式の配当、給与等の支払金受領者として、その住所を目黒区内に明記したことを、第一審以来上告人は主張してきたのであり、芝税務署長も被上告人もそのことは熟知していたのである(甲第一三号証ノ一~甲第一六号証ノ四)。

それにもかかわらず、被上告人および芝税務署長は、第一審以来法人税の添付書類に上告人の住所が記載されていてもそれだけでは所得税に関し上告人の住所が移転していたことは芝税務署長の知り得るところではなかつたと主張し続けて来たのである。

そうすれば芝税務署長は、国税通則税法第三〇条第二項にいう「旧納税地」を所轄する税務署長に該当することは明らかである。一方において上告人の住所移転を知らなかつたと強弁しながら、他方においては国税通則法第三〇条第二項の旧納税地を所轄する税務署長ではないと主張することは明らかに矛盾する主張であり、禁反言の原則に違反し、かかる主張は許さるべきものではない。従つて芝税務署長の甲第二号証の一、二の更正決定も甲第四号証の一、二の取消決定もいずれも有効であり、従つて被上告人の甲第六号証の一、二の更正決定は実質上無効であるから、国税通則法第三〇条第三項の規定によつて遅滞なく取消すべきものである。

然るに原判決は、以上の法理を無視し国税通則法第三〇条第一項ないし第三項の規定に違背して判決に影響を又ぼしたこと明らかである。

二 原判決は、審理不尽の違法がある。

原判決も述べている通り、本件訴訟の請求原因事実については争いがない。争点は、専ら所得税法と国税通則法の適用と解釈に関するものに限られたのである。しかるに原判決は、前項に指摘したように、旧法第六条一項五号と同九号との法文の比較すら怠り、上告人の憲法違反の主張が抽象的であるとして漫然これを斥けた。もし原審が、そのように思料したとすれば、釈明権を行使して上告人の具体的主張を聴くべきが、当然の職責である(民訴一二七条)。しかるに原審は、このような法律上の主張に関する釈明権の行使をしなければ、当事者として上告人は、原審は当然前記法条を比較してその不公平なることを理解したものと信ずる外はない。

また次の第三点に述べる理由齟齬の点についても、もし上告人の主張に不明の点があれば、同様十分に釈明権を行使すれば原判決のような見当違いの判断を予防することができたのに、これまた上告人の一審以来の主張(一審では長期の準備手続を経て作成された詳細なる要約調書も完備しているのである)を看過し、上告人の主張を取り違え、正反対の主張をしたような理由付けをしたのも、審理不尽の結果である。

第三点 原判決は、理由に齟齬がある(民訴三九五、第一項第五号)。

原判決は、理由の第一において、「控訴人(上告人)は昭和三五年分、三六年分の所得税に対しては先に芝税務署長により適法に更正および賦課決定(甲第二号証ノ一、二)がなされているから被控訴人の本件処分は無効であり、税法、国税通則法第三〇条三項を適用して取消すべきでありというにあり、所論の芝税務署長の処分があつた事実は、被控訴人も争はないが、右処分が本件処分より早い時期に同税務署長みずからにより取消されていることも成立に争いのない甲第四号証ノ一、二によつて明らかに認められるところで、右取消処分を無効と断定する根拠もないのであるから、本件処分について国税通則法第三〇条三項が適用される余地はなく、同様に本件処分を当然無効ということも出来ない」とのべている。

ところが上告人は、第一審以来原判決の云う右取消処分(甲第四号証ノ一、二)が無効であると主張したことはないのであつてむしろ右取消決定が有効であるから被上告人の更正決定(甲第六号証ノ一、二)を国税通則法第三〇条第三項によつて取消すべきものであると称して来たのである。それにもかかわらず原判決は上告人の主張を取り違え、上告人の主張しない主張をのべて、右取消処分を「無効と断定すべき根拠もない」と誤断し、この誤解の上に立て国税通則法第三〇条第三項を適用せられる余地はないと判断したのは、明らかに判決の理由に齟齬があり、その齟齬が判決に影響を来したことも明かである。一体原審はどの程度まで上告人の主張を誠実に理解しようとして努力されたのであるか疑問なしとし得ないのである。

以上の理由により原判決を破棄して相当の御裁判を求める次第である。

以上

上告人の上告理由

原判決は憲法に違反しているか、憲法の解釈、適用を誤つたものであるから、破棄して相当の御裁判をして戴きたくお願い申上げます。

尚、私は素人ですから、法律上の主張で、もし間違つているところがあれば、別紙代理人の上告理由と相容れない限り、私の主張はないものと御理解戴きたく、また憤懣の感情に激して押えることができないので、用語上失礼の点は御容赦願上げます。

私は、本件調査において不治のベーチエツト病に冒され失明した者でありますが、この不具の身をもつて巨大なる国家権力との対決に当り私の申し立てる真実には触れようとしないこれ迄の一、二審判決の結果を一市民として、衷心から真実を訴えるものであります。

(一) 芝税務署長は、私が昭和三五年一二月従来の住所港区芝西久保巴町四五番地から現住所目黒区中町二丁目五番地一一号に転居したる事は昭和三六年三月一五日の三五年分、三六年分確定申告に於いて、その事実を知つているのである。三五年分、三六年分芝税務署に提出した法人税確定申告書(甲第一六号証ノ一、三、甲第一七号証ノ一、三)を参証されたし。

(二) 芝税務署長は、私の転居先を知らなかつたと言うが、私の区民税が三五年分より目黒区より課税されている事実は、税務署、区役所の間で税額を通知しているので、この事実によつても芝税務署長が私の住所変更を知つていたことは疑問の余地はない。

(三) 目黒税務署長は、資料箋等により三五年分により目黒区に転居せし事を承知し、その申告を芝税務署にする事を承認し、芝税務署に連絡済みである。

(四) 芝税務署長は、三五年分、三六年分更正決定に当り、住所の変更を知らざりしと言うが、更正決定前、調査官に目黒の自宅に訪問を受けた事実があるから知らなかつたとはいえない。

(五) 昭和三五年分、三六年分更正決定後、住所の変更を知り、権限がないから取り消したと言うが、権限がないとせば、三五年分、三六年分、三七年分納税金を同時に返還しなかつたのは何故か、理解し得ない。

(六) 更正決定取り消しの異議申請書に対し、課税は法文にないから誤りであると申し述べたに対し、誤りがあつたから取り消すとあり、権限がなかつたからとは明記されていない。異議申請書の解答書には明確なる解答を要する(最高裁の判例があるはず)。

(七) 私の納税関係書類の送付、昭和三六年四月、芝税務署長は、所得税法第七七条により目黒税務署に送付すると通知を受けている。第一審に至る準備書面の中に於いて、第七七条による送付は間違いなりと申し述べられている。国家公務員の側における間違によつて、これをもつて公務員は憲法と国法に従い誤りないものと信頼している国民(私)に対抗し得ない。

(八) 前述のごとく、明らかに間違つた法律適用により送付された書類を受領しうる理由はない。よつて、目黒税務署長には課税権はないはずである。よつて、三五年分、三六年分の更正決定は権限がなく無効である。

前述にあるような事は永山の一角で、税法行政は巨大な権力、征服者の行動で、庶民はこれに抗する力を持たない。泣く子も黙るというのが税務官僚で、税制の上には法も道徳もない。これが今日の混沌たる日本の政治、経済、社会を生成した最大の原因で、新聞紙上を賑わす脱税の事実、この赴くところ、国の崩壊、民族の滅亡あり。

(九) 二八年度所得税法の改正は、その前年度より国会に於いて審議された。当時の大蔵委員会の速記録をみるに、その質問(大蔵委員)、解答(政府委員)において、雑所得として課税される含みがあるという箇所は一ケ所もない。又、当時の新聞、雑誌等にも証券会社の社員よりも、課税されるという事があるという事を知る事もなかつた。かかる事は、雑所得として課税するという含みを、立法府、国民を欺瞞したる行為は本判決を求める以前の問題である。又、法文記載の文により通達されたる数字を知る為に、国内に如何なる文献によつて解説されるか明示されたい。国民の一人として法律を知らぬという事は出来ない事であるが、行政府の法の拡大解釈まで知る事は出来ない。法の解釈は立場により主観によつて異なる事と思う。法文に明確を欠き、その施行の範囲を行政庁にあるとせば、もはや、勝者が敗者を裁く極東裁判に等しく、法治国日本ではないではないか。法に権力者の為に存在するのか、権力者を縛る為に存在するのか疑しい次第である。一、二審の判決にあるごとき解釈(雑所得課税)をいかなる方法によつて、その時点で課税を知りうる方法をありしか明確にその方法を示されたい。

(十) 被告は準備書面の中において、株式売買による所得が事業所得に該当するとしても、これを雑所得として課税した場合と比較して、課税の結果に差異はないと記しているが、これは重大な誤りである。事業とみなされれば雑所得者の流通税は事業者の倍である。

国民として総合的に納付すべき税額に、かかる差がある事は、公平を欠くのではないか。

(十一) 目黒税務署長は私の芝税務署長に提出した異議申請書を却下するに当り、取り消したから理由がないとの理由は、芝税務署長の取り消した理由及び私の異議申請書の要旨を承認したものと思われる。芝税務署長が取り消しと共に異請申請書を却下せず、目黒税務署長を通じて却下した事実を考慮すれば、そのことは一層明白である。

(十二) 二八年法律改正において、流通税において雑所得として課税するにあつたならば、流通税においてこの処置に対する明記がない事は、租税公平主義において重大な誤りで、本件主張のごとく、株式売買の所得は非課税の原則にたつて所得税法のうらずけを流通税がなされているものと思考する。

(十三) 二八年法律改正において、その売渡人は損益にかかわらず流通税を課せられている。この売買を事業として行う者より私は倍額の流通税を支払わされている者である。又、投資信託を通して行う売買は流通税額を課せられている。この立法時点において、投資信託は満期の時点において株の売買差益による収益分については非課税となつたはずである。私のように事業として為さざる者は、その所得は非課税であるべきはずである。二八年所得税改正を裏づけするものは、この流通税ではないのか。もし、国税庁主張の通りとせば先の通りとなり由々しき問題である。

事業者(所得百万円とすれば流通税五万円) 所得に対して課税

雑所得者(所得百万円とすれば流通税十万円) 同 課税

投資信託受益者(所得百万円とすれば流通税十万円) 同 非課税

右のように同じ事業所得者、雑所得者が同じ回数を行い百万円の所得ありとせば、どちらも所得の納税額は等しいはずである。雑所得として税率に高低があるという事はないはずである。しかりとせば流通税を倍額取るという事は数字の世界で税負担均衡の原則、憲法の諸条項に照しても明らかなる違反ではないか。準備書面に雑所得と課しても税額に差異はないと記載しあるは明らかなる欺瞞である。これは前述の表は法文解釈でなく数字の世界であり、この事実は準備書面にも記載しある通りで、国税庁職員はいずれ国の官吏か疑しいものである。日本に憲法八四条、九八条、九九条の厳格なる遵守を明らかにされたい。

(十四) 前述のごとく、今日に至る迄を回顧すれば、行政訴訟において国家公務員は、裁判の勝敗に対する手段として素直に真実に触れようとしない事実、裁判を長びかせることは莫大なる国費の浪費と思う。芝税務署長に対する事実においてはあまりにも欺瞞がある。公務員は如何なる事をしても良いのかと疑うものである。これが現在の税務調査の一端をなすもので我々庶民は、その調査行為が適法か知る由もなく強奪されているのである。本裁判においても何を求めても取り上げられず、又、公平であるべき一審裁判所においては管轄に関する主張を数カ月にも亘つて執拗に要求して、この点に関する裁判を拒み、公務員を擁護せし行為は、はなはだ遺憾とする所である。長いかかる行為は赤軍派という者を作り、ひいては革命に至るものと思う。今判決において公務員のあるべき姿を明示せられたし。なおこのような税務行政に対し、私と同じように三六年度以前私同様株の多数売買を為しても課税されない人を何人も知つているが、事実上証人として証言を求めることができない。

(十五) 刑事訴訟又は被告にその実在が有利な場合は、国家権力でもつて実証するであろうが、残念ながら私にはこの権力も力もない。もし、私の言う事が受け入れないならば最高裁の権力によつて、その事を調査し、現実を明らかにされたし。そもそも私に対する課税は別紙、異議申請書(甲第七、一二、一三の一~三、一九、二〇、二一号証)にある通り、篠田ゴム株式会社に対する更正決定の取り消しをせざるをえない状態になり(更正決定は取り消されている)その報復手段として、その行為をなした次第である。又二八年所得税法改正に当たり、流通税とは一環を為した体制であるべきはずである、憲法三〇条、八四条に明記されているが、はたして日本に税法という法律があるのか、日本における国立大学、おびただしい大学があるにもかかわらず、法学部内における税法学科の存在を知らない。本判決を通じて、日本に税法学の確立を義務づけるべきである。

原判決は勝者が敗者を裁く極東裁判のごとく、有る所から取れという思いつき課税で、あくまで征服者の掠奪思想に立つたものである。現行税法は道徳、社会秩序を破壊し、民族の前途の崩壊の淵に立つている。正直者が馬鹿をみる現行社会を思い、私は生命と財産をして最高裁の判決に迄至る者である。

以上

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